無限の食品一般ユニオン

人類は頭ではダメでも、胃袋で連帯できるかもしれない。少なくても、食っているあいだくらいは。もの食う人々の大群のただなかにいると、そう思えてくるのである。…ともに食いながら話せば、果てしない殺し合いより、食う楽しみを取り戻すほうがいいと、胃袋で理解できはしないか。(辺見庸「もの食う人びと」1994年)

 

とある本を読んでいたら上記の文節が出てきて食品一般ユニオンの理念に合致していると思い紹介しました。当ユニオンの出発は工業化された食品工場の職場で働く人びとが解雇や差別とたたかう中で企業の枠を超えて共同行動を積み上げてきました。しかし、20年もするとほとんどが解決し、現在もたたかいを余儀なくされているのは明治乳業賃金差別とネッスル日本労組の解雇・人権侵害の二つになり継続的な共同闘争が困難な状況となっています。さらに労働組合運動そのものが既存の枠を越えられなくて衰退の一途をたどり当ユニオンも例外ではありません。

この流れから一刻も早く脱却するために食に関わる人びとと広く連帯していく方向で、農業生産者・流通関係などに働く人々をと関係を強めようとしてきました。今回のこの「ともに食いながら話せば」「胃袋で理解できはしないか」は、すべての人々と連帯できるテーゼではないでしょうか。

グローバリゼーションで人、物、金が国境を越えて行き交う状況で食の安全・安心は担保されるのか不安がつきまといますが、消費者の立場で考えないと解決しないと思います。まさに理屈より胃袋になにを入れるかで理解しあう必要があるのではないかと思う。

 

奥入瀬渓谷−銚子大滝(観光客が押し寄せる前の早朝の森林浴)